「さやさや」(川上弘美)

読み手は幻惑されてしまうのです

「さやさや」(川上弘美)
(「日本文学100年の名作第9巻」)

 新潮文庫

「さやさや」(川上弘美)
(「溺レる」)新潮文庫

蝦蛄を食べに行った
メザキさんと「私」。
徳利を何本か空にして
二人は店を出る。
ゆらゆらと並んで歩く夜道。
「歩きましょうか。
何もないですね。
言いながら、メザキさんは
店に来たときと同じように、
腰を揺らして半歩先をゆく」…。

ほんの少し何かがずれている現実世界。
リアルでありながら、
わずかに軸がずれている。
なんと言えばいいか…、
プチ「アリス・イン・ワンダーランド」の
ような感覚。
川上弘美の描く小説世界は
何かが微妙にずれているのです。

一つはメザキさんなる男性と「私」の
不思議な関係。
そもそも「メザキさん」とは何者?
会社の同僚のようであり、
上司のようでもあります。
でも何も語られません。
「私」はメザキさんの年齢すら
知らないのです。
そのメザキさんと「私」に、
なぜか不思議な一体感があります。
それは文章全体から
会話の「 」がはずされ、
一繋がりの文章から両者の会話が
こぼれ落ちてきているからです。
あたかも雌雄が一体となった
一個の人間から発せられた言語が
並んでいる感覚です。
登場人物二人の距離感が
微妙に重なっていって、
と言うよりも交差して、
しまいに同化して、
読み手は幻惑されてしまうのです。

もう一つは至るところで回想される
叔父と「私」の過去の関係。
最初は現在と過去が
明確に区別されていたのですが、
次第にその境目が曖昧となり、
しまいには同じ段落の中で
同居を始めていきます。
過去と現在の時間軸が
微妙にずれていって、
と言うよりも交錯して、
しまいに混濁して、
読み手は幻惑されてしまうのです。

そしてさらに、
常識と非常識の区別。
酩酊しての帰り道、
意識を失ったまま
「私」に接吻をし続けるメザキさん。
草むらで放尿しながら
メザキさんに語りかける「私」。
「正常」と「ちょっと異常」の境界が
微妙に薄まっていって、
と言うよりも崩壊して、
しまいに消滅して、
読み手は幻惑されてしまうのです。
最後のこの部分こそ
川上弘美の真骨頂であり、
私は「品位あるエロス」と呼んでいます。

メザキさんと「私」が、
酔った末に帰り道を見失ったように、
読み手である私たちの感情もまた、
幻惑され、
平衡感覚を失ったまま宙をさまよい、
着地点を見失ってしまうのです。
川上作品を読むと、
いつもそうした「ずれ」に
無意識のうちに襲撃され、
作者の意図した、
別の世界に否応なしに
引き込まれてしまうのです。
当然、子どもなどには
薦められる代物ではありません。
大人が品位をもって楽しむべき
小説世界です。

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(2018.1.4)

※川上弘美の本はいかがですか。

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